(´;ω;`)ブワッ


by nakieiga
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カテゴリ:読書( 13 )

タイトルそのまま、字幕屋さんの内幕を描くエッセイ。

本書でも少し触れられているが、映画字幕に関してなら『映画字幕の作り方教えます』(清水俊二)が圧倒的に内容が充実しており、わざわざこの本を読むまでもない。妙に若作りな文体も痛々しく、ぼやきや愚痴からは、字幕作りを仕事にしているプロフェッショナルとしての誇りが全く感じられなかった。

また「日本語が変」に当たる内容もありきたり。あんまり文句ばかり言っていると、字幕特有の妙な会話文にケチつけられるぞ。

(壁)
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by nakieiga | 2007-04-28 13:04 | 読書
「ルネサンスとは何ぞや」という問いかけに対し、塩野七生は「人間の見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発」だと書いている。既成の価値観に盲従するのではなく、「ホントにそうか?」と立ち止まって考えてみる。「それってどうなの」という他人に、あるいは自分に対する問いかけも同質だ。

本書は様々な物事の本流に、そうしたルネサンス的視点を向けたコラム集。こう書くと大袈裟だが、内容はいつもの斎藤美奈子。地方紙の短めのコラムを中心に編纂されており、さらりと読める。社会的な問題(右傾化への危惧)、教育、ジェンダーに関する議論、メディア論など、話題は豊富、あるいは雑多。電車の中で興味ある話題をつまみ読みするのも良い。

「それってどうなの」という著者のつぶやきに、読者は迎合することなく、「それこそどうなの」とつぶやいてこそ、本書をより楽しく読める。斎藤美奈子の主張が殆ど本流だった時代もあるのだから。

★★(暇つぶしに)
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by nakieiga | 2007-04-27 09:31 | 読書

大いなる助走/筒井康隆

『巨船ベラス・レトラス』と併せて読みたい一冊。『巨船~』が現在の文学界全体における憤りをぶつけたものであるなら、『大いなる~』は文学賞に対する私怨をエネルギーに、最後まで駆け抜けている。筒井康隆は直木賞を取り損ねたのである。

地方都市の同人に新人が参加。彼は勤務している大企業の内幕を描く暴露小説を書き、それが文芸誌の目に留まり、何と直升賞候補に推薦される。しかし、作品が優れているからというだけですんなりと賞が獲れるものではない。あの手この手で審査員を味方につけなければならないのだ。

同人でくすぶっている文学崩れの連中や、文学界に巣くう魑魅魍魎をこれでもか、とカリカチュアライズ。『巨船~』でもそれが面白かったが、『大いなる~』の私怨パワーはそれをはるかに凌ぐ。

書かれていることがフィクションだと思えないのは、惚れた女を取られた私怨で東野圭吾の直木賞受賞を妨害し続けてきた老害がいるから。散弾銃で撃たれても気づかないかもね、鈍感力の持ち主だし。

抱腹絶倒モノではあるが、根底には文学に対する真摯な姿勢がある。それは『巨船~』とも通底するところである。それは批判に対する予防線などではなく、筒井康隆の姿勢そのものだと感じた。

★★★★(もう一回読もう)
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by nakieiga | 2007-04-24 09:02 | 読書
志水辰夫の初時代小説(と帯に書いてあったように思う)。とは言え、舞台は変われど志水節は変わらない。

船酔いに悩まされつつ、江戸に戻ってきた男が一人。わけありらしく、人目を忍んで長屋に潜む。男の名は、佐平。何のために佐平は江戸に戻ってきたのか、そして江戸へ戻らなければならなかったのか、次第に明らかになっていく。不器用な男たちの意地の張り合いがそこにはあった。

少し前に読んだ『行きずりの街』に雰囲気が少し似ているが、こちらのほうが完成度が高い。志水作品の中には、主人公はいいけど他の男が今一つ、というものがあるが、本作は佐平の周りに良い男が揃っている。不器用な男たちを必要とする時代背景が良いのだろうか? そうすると、志水辰夫にはどんどん時代小説を書いてもらいたいものだ。

最後の一行は、初期の志水辰夫ファンとして蛇足と見るべきか、あるいは近作のファンとしてサービス精神の発露と考えるべきか、評価に悩むところだ。その直前の一文を読めばこう続くことが予測されるので、ないほうがより「男泣き」できるのは確かではあるが。

★★★★(志水作品を再読したくなった)
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by nakieiga | 2007-04-17 00:14 | 読書
自分のように中途半端に文学を、と言うよりは小説を愛する人間には、本作について語ることが難しい。作中の登場人物を笑いつつも、大いに反省させられるところがある。

出版業界の構造的な問題点が明確にされている。読書が趣味という方は、読んでおくべき一冊。読んでピンとこなければ、インタビューを読む。それでも駄目なら、その人にとって読書は時間の浪費以外の何ものでもない。

★★★☆(落ち着いてから読み直そう)
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by nakieiga | 2007-04-11 09:35 | 読書
『ロング・グッドバイ』の記憶が鮮明なうちにと、筒井康隆の『巨船ベラス・レトラス』と並行して読み始める。従来の小説を求める消費者がいて、そのニーズに応える作家がいて、その需給関係を下支えする新聞の書評欄がある一方で、革新的、革命的、破壊的、まあ何でもいいや、見方によっては新しくもなり、ただ無茶苦茶とも言える作品がもてはやされるんだよなあ。辛辣なんだけど、いちいちディテールが面白くて、電車内で笑いをこらえるのに必死だ。

今日の名台詞。
飲むのなら自尊心を忘れないようにして飲みたまえ

これはこれで良い台詞だが、テリー・レノックスがその前に口にした台詞を踏まえると、さらに味わい深くなる。
「ぼくのいう自尊心はちがうんだ、ほかに何も持っていない人間の自尊心なんだ」
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by nakieiga | 2007-04-07 09:47 | 読書
ようやく読了。ひとまずの感想。

●村上春樹を見直した。若い頃に読んだ、レイモンド・カーヴァーの翻訳が性に合わなかった記憶があり、『ロング・グッドバイ』は少々警戒していたが、杞憂だった。と言うよりは、若い頃の自分に読解力がなかったのだろう。ただし、それを差し引いても『アエラ』の紹介記事を読んだ時は「地雷じゃないか」と思えたものだが。

●清水俊二の日本語力は凄い。素直な村上訳があるからこそ、その凄さが実感できた。そのうち、『長いお別れ』の名台詞集をつくろう(もうやっている人も多いけど)。

●古典は面白い、いや面白いからこそ古典たり得ると言うべきか。

探しごとがあって検索していると、「レイモンド・チャンドラー総合スレ」に行き着いた。清水訳が予想以上に人気がない。反対意見もあるが、村上訳は概ね好評のようだ。

そうそう、その「探しごと」と言うのは、稲葉明雄訳の『待っている』にたいへんな誤訳があった、という話の真偽。先日、飲み仲間から聞かされたのだが、どうも正しい訳より誤った訳のほうが味がある物語になっているのだ。結末に直結する部分なので詳しくは書かない。

誤訳・抄訳は許せないという意見もわかるし、それが嫌なら原文読めというのもごもっともだ。しかし翻訳者のフィルターを通ることで見える世界もあるのだ。たとえ事実とは違っていても、そこにはある種の真実があるのかもしれない。

★★★★(今度は清水訳と並行して読んでみよう)
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by nakieiga | 2007-04-06 14:24 | 読書
先日、古い友人と会食していた時、「そう言えば、芸術家ライフル連隊って本当に存在するのか?」という話題になった。

調べてみたら、あった。さすがウィキペディア

それによると1860年2月28日、第38ミドルセックス(芸術家)ライフル義勇隊として設立。1880年には第20ミドルセックス(芸術家)ライフル義勇隊となった。ボーア戦争に参加、その後は他の27の義勇大隊とともに地域防衛隊であるロンドン連隊を構成した。

芸術家ライフル義勇隊は人気が高く、1900年の時点で12個中隊あり、1914年には3個大隊で編成された。1914年10月には士官養成隊となり、大戦中は1万人の士官を育成した。1917年と18年には実戦にも参加、数千名の死傷者を出し、数百の勲章を得た。

マーロウが指摘するように、第二次大戦中、芸術家ライフル連隊はノルウェイに上陸していない。この時も士官養成部隊として、実戦には参加しなかった。1945年に解隊されたが、1947年1月に第21SASとして再編成された。

公式サイト

残念ながらアイリーン・ウェイドが持っていた記章の画像は見つからなかった。
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by nakieiga | 2007-04-05 14:53 | 読書
清水俊二訳のそれは、「お別れ」している期間が「長い」のだと思っていた。が、村上春樹訳では、「お別れ」を言うまでに要した時間が「長い」のである。

解釈としては、村上春樹のほうが正しい、ということになるだろう。

それで感じたのが、清水俊二訳は場面が魅力的であり、村上春樹訳は物語が面白いということだ。例えば同じシーンであっても、

「アルコールは恋愛のようなものだね。最初のキスは魔力がある。二度目はずっとしたくなる。三度目はもう感激がない。それからは女の服を脱がせるだけだ」
「そんなに汚いものか」と、私は尋ねた。
(清水俊二訳)

「アルコールは恋に似ている」と彼は言った。「最初のキスは魔法のようだ。二度目で心を通わせる。そして三度目は決まりごとになる。あとはただ相手の服を脱がせるだけだ」
「どこがいけない?」と私は尋ねてみた。
(村上春樹訳)

と、こんなに違う。村上訳は明確、清水訳は読み方によってどうとでも取れる部分を残しておいて、場面の奥行きを広げているように感じられる。これはどちらが良い/悪いという問題ではない。村上訳によって『長いお別れ』という物語に対する理解を深めることができ、清水訳によってチャンドラーの文体に痺れることができたという、ごく個人的な感想である。

あらためて翻訳とは、日本語力が問われる作業だと感じた。
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by nakieiga | 2007-04-05 10:00 | 読書
ようやくにして、村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』を手に入れた。東京出張のたび、書店で探したんだけど見つからない。売り切れ。何のことはない、近所の駄書店に売れ残っていた。

チャンドラー作品と言えば清水俊二訳以外にあり得んだろ、稲葉明雄? 誰それ? という勢いの清水訳びいきなので、偏見たっぷりに頁をめくっていったが、いやいや、面白いじゃないですか。清水訳では訳されていなかった箇所も網羅されていて(それが必ずしも必要かと言えば、議論を待つ必要があるが)、村上春樹の小説家としての才覚を再認識させられる。

こうなると、『グレート・ギャッツビー』も読みたくなるね。

自分にもテリー・レノックスに近い存在がいて、ずいぶん前にその人と渋谷のバーで飲んでいた時のこと。ギムレットを飲みつつ、『長いお別れ』の話になって、「本当のギムレットはローズ社のライムジュースとジンを半々」なんてことを言っていたら、「ウチはローズ社のを使っているんですよ」と、バーテンがわざわざライムジュースのビンを引っ張り出してきてくれたことがあった。その計らいにどれだけ喜んだことか。

その店は、もうなくなってしまったんだけど。
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by nakieiga | 2007-03-30 09:13 | 読書